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2010年4月

2010年4月30日 (金)

5月のどぅたっち予定

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5月4日(火)第176回 命どぅ宝ネットワーク署名提出行動

午後6時衆議院議員会館集合/6時半出発

1995年10月4日から始めた「沖縄のすべての軍事基地撤去を求める署名」提出行動。

基地が撤去されるまでは毎月4日には必ず提出に行くことを決めて行い続けています。ご存知の通り、未だ一つさえ撤去できず、オキナワ内たらい回しを図られている状態です。15年目、176回目になる提出行動に是非ご参加ください。

最近では参加者は4~6名ですが、撤去まで続ける決意は変わりません。

上記の写真は先月、首相官邸前での写真です。

どぅたっちイベント情報

●5月19日(水)午後7時から 

西山正啓監督新作ドキュメンタリー上映会

「ゆんたんざ未来世2 金城実・知花盛康・知花昌一の国会前座り込みから、4・25県民大会まで」上映と西山監督のお話

参加費1500円

☆西山監督の第一作「みちことオーサ」製作の事務局を務めた上里忠之さんが53歳で急逝されました。上映会終了後の打ち上げでは、上里さんの思い出も語りたいと、西山監督はおっしゃっています。

たくさんの方の参加をお待ちしています。

5月22日(土)午後3時から6時

ナトセンのおもしろ学校 第6回

テーマは「辞書」

1時間目 講義「私は辞書が好き」(名取弘文先生)

2時間目 あなたも語る「辞書のあれこれ」

授業参加費 1500円(1ドリンク付き=泡盛もあり)

5月28日(金)午後7時から9時

太田昌国の世界 その3

「政治が変わるということの意味

ー日本の政権交代の現実を、世界の中に捉える」

参加費 1300円

(太田昌国の世界は、奇数月の最終金曜日午後7時開催です)

2010年4月27日 (火)

沖縄政府要請団

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沖縄から県民大会の意思を伝えるために100名の要請団が訪れました。私個人の感情としては、ここまでし続ける沖縄が痛々しい。時間と資金を費やしても要請する、人間らしい沖縄よ、と。永田町を持つ東京にいて、私は東京も変えられず申し訳ない気持ち。

愛おしい沖縄の友人たちは元気いっぱいで、まぶしいほど自信に満ちていた。

浜松町で出会い、羽田までの短い時間の共有だったけれど、

ベンさん、親川さん、鈴代さん、源さん、浦島さん、宜野座さん、安次富さん、に出会えてうれしいかった。

当日の号外や、自立を求める仲間たちの檄文、新聞、ステッカー。いろいろお土産をいただいた。希望が膨らみ楽しいひと時の会話だった。

琉球弧の独立のために働く「東京琉球館」としてしっかりどぅたっちしていこうと、思う。

どぅたっちの4・25

Kotobuki25

寿[kotobuki]の25周年記念ライブの様子です。黄色いものを身につけた方がちらほら見えますか。集会に参加してから、駆けつけてくれた方もあります。

36名参加の、超満員状態で2時間のライブ2時間の打ち上げで、盛り上がりました。

どぅたっちらしい25日の表現だったと思います。

6月20日はどぅたっち10周年記念パーティライブです。

寿・李政美・soso(生田まんじ&愛染恭介)がガスと参加してくださいます。

こうご期待!

ナーグシクヨシミツさんの作詞の歌の題名を記します。

●制服の日常の異常な日々」

●沖縄に降る雪

●58号線を未来へ

●アメリカ~日本~琉球・独立

●独立少女紅連隊

●金網の向こう側

●がじゅまるの木の下で

●流りゆく白雲ぬ如に

などなど・・

2010年4月24日 (土)

4・24新宿デモ

Yamato

「反戦と抵抗の祭」の呼び掛ける、「沖縄を踏みにじるな!新宿緊急デモ」に参加し、新宿の繁華街を歩いた。

明日25日、沖縄で同志たちが掲げるスローガンを一日早く、掲げて。

事前に主催の方に、私の意見、普天間基地は県外・東京へについて、どう思いますかと問いかけた。かすかな期待があって。彼らの感性なら理解してくれるのでは、と。

しかし「反戦と抵抗の祭りの基本姿勢は、基地はいらないどこにも」であるということ、それを訴えるために参加してはどうですか?との返事。

デモの途中で、私の掲げるボードを自分で撮ったのが上記の写真です。

Photo 

デモの途中で、明日のどぅたっちライブ出演者である「寿」のナーグシクヨシミツさん(那覇出身ミュージシャン&詩人)と合流できた。

ヨシミツさんは、ソロアルバムで独立を謳う。

このメッセージボードに賛同してくれたので、記念写真を撮った。

一人ではなくて嬉しかった。

そのあと、前回の東京都知事選挙で「石原やめろ!」を共に闘った友人 に出会い(彼の連れ合いは徳之島出身)、賛成してくれた。そんなわけで今夜の100名のデモのうち3人は「沖縄の自決権をもとめる仲間たちのスローガン」を共有した。

このデモのコールは「基地はいらないどこにも」「沖縄の米軍かえれ」「沖縄かいほう(解放?)」「戦争反対」などだった。「県外」の言葉はなかった。1時間半のデモ中、これが繰り返され、明日沖縄が、「国外・県外へ」とタイトルし、10万人を集める努力をしているのに、何故、こんな風にはぐらかすのか理解できなかった。「基地はいらない、どこにも」のコールの中、ひたすら、通行中の人に「米軍基地はヤマトへ」のボードを見てもらうにことに集中して歩いた。

沖縄が「県外」とやっと言っているのに、それをかわした主張に、さびしい気持ちでしたが、思いを分かち合える人に二人出会えたので、嬉しかった。

(お断り=ヨシミツ(善光)さんはイケメンなのに、写真撮るときは必ず「ぶー顔」をします。)

終了後、二人でBERGのおいしいビールを一杯、立ち飲みして、解散しました。

沖縄の仲間たちと連なるこのボードを掲げて歩けたことは、幸せでした。

今日より良い明日を願い、

明日を切り開く今日を生きたい。

2010年4月23日 (金)

普天間基地の県外移設

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2004年8月13日の米軍大型輸送ヘリ墜落・爆発・炎上事件を覚えていますか。

上記の写真は、そのころ私が持って歩いていた抗議メッセージボードです。裏には「米軍も日本軍も沖縄から出ていけ!」と書きました。

以下は、この沖縄国際大学の近くに住む友人が、1月8日に琉球新報論壇に投稿したものの全文です。

**

「自分が嫌な物を人に押し付けることはできない」。私もそう思ってきた一人です。軍事基地のことです。

 私は、基地のフェンス沿いに住んでいて子育てをしていく中で、どう考えても軍事基地とは人間性を否定する存在なんだと気づき、「基地反対」と声を上げることにためらいはありませんでした。しかし、「県外移設」という言葉は、基地を認めることを含んでいる気がして、なかなか自分の中で消化できませんでした。

 そう思っていた8年ほど前、県外に住んでいる人から一枚の年賀状をもらいました。それには、手書きで「普天間基地は地球上からなくすべき。県外移設とはエゴじゃないか」と書かれていました。

その人は高校の教師で、教え子たちの修学旅行先に沖縄を選び、平和学習に熱心な感じでした。私は一度だけ、2時間ほどその修学旅行の高校生たちに沖縄の現状を話したことがあります。

その年賀状を受け取った時、とても驚きましたが、そん風に考えている日本人が大多数だということが、だんだん分かってきました。

 75人分の荷物を一人に持たせ、「右手の荷物が重いなら、一つは左手に移したら?」と言っているのと同じです。なぜ「自分の分は、自分で持つよ」と言わないのでしょうか。あらためて沖縄が差別されている現状と向き合い、普天間基地を地球上からなくす手っ取り早い方法は、まず日本(沖縄県外)に引き取らせることだと思いました。

この状況を改め、その後、日本人すべてが当事者という認識を持ち、本当に基地が必要かを考えればいいと思います。もちろんいろいろな考え、思いの人がいると思います。

今、政権が代わり、沖縄の民意は「県外」と大きく動いています。しかし、政府の発表は、日々、ブレまくっています。一番恐れるのは「いろいろ検討しましたが、県外移設は無理でしたので、やっぱり県内で・・」となることです。そんなことは許されません。

今、ちゃんとはっきり、「基地は県外へ」と言わなければなりません。具体的には、4000メートルの滑走路がある関西国際空港に、嘉手納飛行場を引き取ってもらいたい。普天間飛行場は神戸空港がいいと思います。機能を分散させれば、もっと早く解決するでしょう。

 県民は60年以上米軍基地を負担してきたのです。これを機会に基地負担ゼロにしてくれというのはエゴなのでしょうか?

日本との関係を見直し、そして沖縄の私たちも自分と向き合い、考え出す時が来たのだと思います。

**これを読んだ時、どんな決意でここまで書いたのかが、想像でき、毎日普天間基地の爆音で苦しめられるなかで、血を吐くように綴ったのだと、思え、彼女の思いにまっすぐ向き合い、応える社会状況がつくられるように私も行動しようと、記事を大切に持っていました。投稿したあと、こころない反論に心ズタズタにされているのではないかと、それも気がかりです。

これを読んでも、「基地はいらないどこにも」と、現実に沖縄にある軍事基地を見て見ぬ振りが出来るのでしょうか?

2010年4月22日 (木)

下地さん71時間目と黄色い旗

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またまた冬に逆戻りの今日。断食座り込み3日目の下地厚さん。新聞を読もうとか思っても、集中力がなくなって、と。でもやり抜きました。有難う、厚さん。

平和市民連絡会の山城さんが那覇に発つ前の時間に駆けつけ、熱い挨拶とエールと、議員会館の議員さんに檄を放った。

琉球から天使が舞い降りたと、私には思える、熱く細やかな発言だった。感動!

東京に住む琉球・沖縄人に対する暖かな気遣いの部分の発言は心に染みて、ここまで配慮する琉球人ってすごいなぁ、と。東京に暮らす皆さんはさびしい思いでいるかもしれませんが、沖縄は25日の大会に向けて頑張っていますから、安心してください、と。知事も大会で挨拶しますし、一丸になっていますから、と。

故郷を離れ、ここ東京から故郷への思いと、沖縄を苦しめる政府への怒りを、断食座り込みで抗議・表現する厚さんへのいたわりの言葉と感じた。琉球の暖かさに、感涙。

世話人を務め抜いた一坪の外間さんは、さっそく黄色の腕章を用意していた。

どぅたっちも25日スタイルにバージョンアップ。お客様にも25日の黄色を、伝えていきます。駒込が黄色に染まったら嬉しいけれど。25日までは毎日雨らしいので、レインコート用の布で作りました。明日もう一本作ります。沖縄のみんなとつながっていると思うと嬉しい。

どぅたっちイベント連絡です。寿ライブは予約で満席です。当日入場はできません。

ライブ参加者の皆さん、賛同の方は、黄色をどこかに着けてきてくださいね。

Photo

「黄色」で反対示す 4・25県民大会

琉球新報 4月20日付から

知事出席を決断  scissors

 仲井真弘多知事は19日、普天間飛行場の国外・県外移設を求める4・25県民大会に出席し、知事あいさつをする方針を固めた。20日午前に自民党県連と公明党県本の県政与党に対し、大会参加を伝える。
 

「黄色」で反対示す 4・25県民大会 fullmoonbananachickdanger   

 4・25県民大会実行委員会は19日、第2回幹事会を県議会内で開き、「県内移設断念を」などとする大会決議案と大会スローガン案を承認した。仕事などの都合で大会に参加できない県民が、連帯をアピールする手段としては、大会当日の統一カラーを「黄色」に決定。県内各地の街頭を「黄色」に染めることで、県内移設に傾く政府に対し“イエローカード”を突き付ける。

沖縄の意思が、一つになろうとしている、一つ一つの動きがうれしいです。

私も黄色で、故郷への思いを表現しよう!

2010年4月21日 (水)

国会前でハンストの下地厚さん

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友人の下地厚さんが抗議のハンストをしているので、どぅたっち開店時間前に国会前に行きました。たった1時間しか一緒に座れませんでしたが、昨日の冷たい雨の中、そして今日の暑い日差しの下、体力を消耗しているのは明らかで、しかしいつもの朗らかな笑顔でいたのは流石でした。

沖縄新基地建設を許さない、

基地の県内たらいまわしを許さない、

これ以上の沖縄差別を許さない!

下地厚さんは、この3点を訴えています。

山内徳信議員が激励に来て、森木秘書と一緒にしばらく座り込みをしていかれました。

私は自分のメッセージボードを持って座りました。

厚さんに私はこう思うのだけど、と見せたら、僕は違うけど、と笑っていましたが

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私は軍事基地などない世界を願っています。

どこにも無いほうがよいに決まっています。しかし、今、無いほうがよいものが沖縄にあるのです。沖縄の日々の暮らしの隣に。

移設を願っているわけではないのです。しかし、普天間基地返還の条件は移設だと日米政府が決め、辺野古住民を苦しめ、今また別の候補地を探そうとしているから、「移設」するなら「県外」へと言わざるを得ないのです。

私は東京に住む琉球人です。

沖縄はもう65年も軍事基地の島で苦しんだのです。

米軍による被害はもちろんですが、沖縄のおじいさんやおばあさんが、基地に反対するのは、自らの身内を失った戦争が今も世界にあり、沖縄がその出撃基地だからです。ベトナム戦争が終わってもまだ「悪魔の島」沖縄であることが耐えられないのです。

「県外」なら、他のどこへでもなく、永田町のある東京に移設しなさいと言いたい。

沖縄に押しつけられた「軍事基地」はヤマトゥの琉球への差別の結果です。

1906年の薩摩の侵略・1879年の琉球処分の歴史をここで展開しませんが、押しつけられた軍事基地は、押しつけた者=ヤマトゥに返したい。

この視点でいえば、米軍基地を押しつけたのは米国ではなく、天皇を頂点とするヤマトゥであるから、琉球民族として、チャモロ人におしつけるなどは考えられない。

「移設」ではなく「撤去」だと言っているあいだも、軍事基地は沖縄に在り続ける。せっかく鳩山首相が県外移設で普天間基地を返還すると言っているのだから、「普天間住民」を喜ばせてください。いまさら、「移設ではなく」などと言わないで、と思います。

私のメッセージボードをみて、ある人が「以前、原発を東京へ」という運動があった、と言いました。しかし、それと根本的に意味が違うのは、まず「移設」が課題にされていること。そして、沖縄に大量の軍事基地があるのは、ヤマトゥの沖縄差別の結果であること。

舌足らずで、理解しがたい部分があるかもしれませんが、

長くなるので、ここまで。

2010年4月19日 (月)

4月25日沖縄で県民大会

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4月25日沖縄では「普天間基地の県外移設を求める県民大会が開かれます。そして東京でもそれに「連帯」する集会デモがあります。

どぅたっちでは、その日「寿-KOTOBUKI」の25周年&記念アルバム発売記念ライブを開きます。ですから東京で行われる集会そして夜の行動にも参加できません。

 寿の25周年記念アルバムは、すべて那覇に生まれた宮城善光さんの詩によるもの。彼は基地のない沖縄を歌い、琉球独立を詩い続けています。 

その上で、聞いていただこうと思い書きます。

沖縄が「県外移設」をもとめて県民大会を開くとき、もしそれに「連帯」と言うなら、県外の集会タイトルは、たとえば東京なら、「沖縄の基地は東京へ」とか、大阪なら「沖縄の基地は大阪へ」と言わねばならないと思うのです。

沖縄の民意「県外移設」に賛成という地域はそれぞれ自らが引き受ける決意を表明しないと筋が通らないと思うのです。それを言わず「沖縄の民意にこたえよ」と言ってお茶を濁していると感じます。「私たちは県外に賛成だから、東京に移設しなさい」と鳩山首相に迫るのが、東京での集会のテーマだと思うのです。そうやって、闘いの現場を首都東京に(あるいはそれぞれの地域に)持ってくるべきと思うのです。

北沢防衛省が、「県外と言ったって、誰も引き受けるところはないから、不可能だ」と言った。

では沖縄はいつ、引き受けると言ったか?。

あちこちから引き受けるの声が挙がれば、北沢は、そして民主党政府は言い逃れはできなくなるでしょう。

「東京(あるいは私の地域に)に沖縄の基地移設を!」と、良心的ヤマトゥの運動家の皆さん、言ってくださーい、と思うのですが。

孤立の中で 、島袋マカト陽子

2010年4月 5日 (月)

どぅたっち10周年

なかなか暖かくなりません。

どぅたっちの蘭はけなげに花開いています。春を感じる陽ざしに思わず一輪が花開いてしまって、それは3月10日でした。それから今日まで、まだ春の日差しではなく。この壊れて、いえ人間が壊してしまった地球の「季節」。花々は、それでもまだ希望を持っているらしく、青葉を見せ、蕾を付け、花開き、喜ばせてくれます。

今年でどぅたっちは10年になります。開設したメンバーの一人である私も、思いだけで今日まで来ました。

維持するには厳しい状況は相変わらずです。今年は多くの皆さんのお力を借りてなんとかもうしばらく、どぅたっちを存続させたい、と思っています。どんな形で存続するのか、考えています。どぅたちの沖縄商品をとりあえずかっていただけたら、まず嬉しいです。日常の商品はぜひ、どぅたっち。宴会食材はどぅたっちで。交流会・パーティはどぅたっちで。

皆様のご連絡・ご来店をお待ちしています。

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